2010/05/19

新しく

変なブログですが、読んでくれてありがとうございました。
また、新たにブログをつくりました。もしよろしければ
もし、初めて来れれる方は、過去の投稿を最初に読んでいただけると幸いです。


下記のリンクをお願いします。



1week blog nature 


 http://1-week-blog-nature.blogspot.com/






主に自然についての事を書いています。
不思議な体験や、自然のすばらしさを体いっぱい受けてきました。
それらをうまく書けたらと思います。



title  ビジョンクエスト、水について





1week blog busy


忙しいことについて書いています。

title 元気ロケッツLIVE、3D映像について



1 week blog Boredom


暇なときに読んでもらえたらと思います。

title 各国のホテル







また是非よんでいただけるとうれしいです。


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2010/04/18

最後に

1週ありがとうございました。

これを読んでくれた人は、デザインをしたい人、建築をしたい人、映像をしたい人、など、自分の感性で勝負したい人がたくさんいると思います。日本を出てみると、世界は新しいものにあふれています。何かに迷ったときや、刺激がほしいときは、旅をすることを進めます。

それはリゾートにお金を使いにいくのではなく、自分の身一つで
道を作り出す旅のことです。

自分たちは生まれたときから、ある程度整ったシステムの上で生きてきました。だから、そのシステムに対してどのようにアプローチしていくか?ということには、無意識に対応できていると思います。しかし、国が違うとシステムもまったく違い、意識してその物事に取り組んでいかなければなりません。その時、なにか根本的なものに疑問を抱いたり、直感で物を考えなければ行動ができないことがあります。それらの疑問は、感性の基礎体力のようなものだと思います。旅をしてきて、何が変わったかといえば、何も変わっていません。しかし絶対日本ではできない経験や感性の基礎体力は得ることができたと思います。

ぜひ読んでいる方も旅に出て、一緒に旅の話をして盛り上がりたいと思います。

1週間ありがとうございました。


志村晋平


追記

1週間ブログですが、また名前を変えて、なにか始めようかと思っています。
またこのブログに書きますので、もしよければ、登録お願いします

2010/04/15

第六感

第六感という言葉がある。視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の他もうひとつの人間の感覚だ。
それは、普段感じることができない現象を捉えられる感覚で、幽霊を見ることができる事や、パワースポットに惹かれるような事も同じ事だろうと思う。
それが、あるという人もいるし、錯覚だいという人もいる。しかし自分を観察して耳を済ませると、感じられるものがあると思う。旅をしていると、一人でいる時間が多く自然の前や、遺跡の前ではそのような状況になることが多い。自分がそれを感じることができた場面を書こうと思う。


グアテマラ ティカル遺跡

グアテマラと、メキシコの国境の近くに、ティカル遺跡というものがある。マヤ文明の最大の遺跡群で、数多くのピラミッドが鬱蒼とした熱帯雨林の中に点在している。ピラミッドというと、エジプトのものや、メキシコシティーのティオティワンカピラミッドが有名だ。どれも砂漠の中に立つものなので、ピラミッド=砂漠と考えるかもしれないが、ティカル遺跡は、大自然に囲まれた苔むしたピラミッドだ。いろいろ遺跡を見てきたが、砂漠にある遺跡とは違い、これだけそこに根付く生命力があふれている遺跡をあまり見たことはない。大自然の力がよりいっそう、遺跡の力強さを表現しているような感じがするだ。補修されてきれいに整えられたピラミッドも魅力的だが森に埋まってしまった人工物と自然物が調和した景観は本当に美しかった。

自分がその遺跡についたのは明け方だった。熱帯雨林なので鳥たちの声が森を包んでいる。
遺跡の中には、一応遊歩道が張り巡らしてあり。(といっても獣道)、地図どおり歩くと、すべて回れることになっている。自分は、コース通りいくのもつまらないので、少し違うルートにいって見ようと、脇道にそれてみた。その道はメインの遺跡から少しはなれ、ちょうど巨大ピラミッドの裏にいく道だった。
普通なら、それで話が終わるのだが、この遺跡にはほかの遺跡にはないものが一つあった。

それは、ピラミッドの中央につながる土のトンネルがあったのだ。正確にいうと、ピラミッドの淵の部分から少し沈み込む様にしてピラミッドの内部に続いているトンネルで、四つんばいになってやっと入れるぐらいの穴だった。いったい、何の為に掘られた穴なのかはわからないが、看板なども建ってないことから、観光用だとも考えられないのである。

日本にいれば、そんな穴には絶対入らない。しかし、そこはグアテマラの奥地だ。
気軽に来ることができる場所ではない。もう一生ピラミッドの中に入るチャンスはないという思いが自分をその穴に入らせた。

一時間という時間を決めて、中に入ってみた。

穴はどこまでも暗く続いている、外の気温よりも少し蒸し暑い。
だんだん、入り口からの光が届かなくなり、あたりは真っ暗になる。
頭の上をこうもりーが掠めて飛んでいく。
手探りで穴の中を進むと、そこに一段だけのぼれるスペースがあった。
そこに何とか体を運んでみる。距離的にちょうどピラミッドの中央部分あたり
そこで一段あがって、トンネルは行き止まりになっていた。
トンネルが行き止まりになって、前に進むという事から開放された時、自分はそこで何を感じたのか?勘違いと思われても仕方ないと思うのだが

それは重力だった。

とんでもないくらいのプレッシャーがピラミットから流れてくるのを感じたのだ。それと同時に地面に引っ張られる感覚がしたのだ。狭くて暗い場所なら、いままで何回も入ったことがある。しかし、今回感じたような重圧は初めてだった。

その後、自分はその場で一時間ほどいたらしい。近くを通った西洋人のカップルの声がして我に返り
外に這い出たのだった。

今思い返してみても、あの穴はなんだったのかなぞである。そしてあの穴で出会った出来事もなぞである。しかし、この体で感じた、鮮烈な感覚はいまでも体の中に残っている。

2010/04/14

モバイル文化

メキシコ人の子が驚いていたことがある。それは東京にはこんなにたくさんの電車があるのに、なぜ混むのかということだ。

一応自分はこう答えた。

東京は世界最大の首都圏だということを
ひとつの都市としては、メキシコシティーが最高という。しかし埼玉千葉神奈川の人間が一度に東京に流れ込む人口は世界最大らしい。そしてその人口に流動性を持たせるのが電車であるわけで、朝の異常なラッシュは起こるわけだ確かに他の国ではラッシュというものをあまり見なかった。短距離のバスとかならあるが、長距離をまたぐ電車ではあまりおきない現象だ。

そこで考えたのが、おそらく世界で一番移動している人間は日本人じゃないかということだ。
経済が未発達な国では、自分の住んでいる生活圏からあまりはなれない。しかし日本人は毎日平均80~100分以上移動に費やす(世界2位は中国の80分)このことから日本人にとって移動は日常であり、移動することに慣れている民族だと思う。国土が狭いことが逆に人口の過密を呼び、世界最大の通勤時間をたたき出したのは不幸なことだ。

しかしそのことは、移動時間を有効に使おうとする日本の「モバイル文化」というものを作り出したと思っている。モバイルというと、高い技術力から生まれるゲームボーイや、ウォークマンなどを思い浮かべるが、もっと前から日本人はモバイルする文化をもっていうことがわかるものがある。

それは日本の文庫本だ。

世界の人々に日本の文庫本をみせると、たてに文字を書くことや、文字の種類が3種類あったりということなども驚かれるが、なんといっても手のひらにおまるサイズが驚かれる。いつでもどこでも読める小説というのは、移動時間には取って置きの娯楽だ。いろいろな国の人にであったが、これだけ小さなサイズの小説を持っている人間を見たことはない。これはモバイル=テクノロジーなのではなく、慣習の側面からモバイル文化がうまれたといってもいいと思う。

ここ数年で技術の進歩によってコンピューターが手のひらサイズになってきた。
それらを一番使いこなせるのは、モバイルを早い段階から受け入れてきた、日本人だとおもうのだ。

2010/04/13

カフェ

今度、メキシコの友達が東京に遊びに来ることになった。
それで、自分が東京を案内するのだが、どこを案内しようか迷ってしまった。日本の文化を案内しようと思うのだが、伝統文化を紹介するなら、ガイドブックの方がよっぽど勝っている。自分が旅に出ている時は、文化遺産や、アクティビティー、料理なども気になったが一番興味を抱いたのが、住んでいる人の普通の生活だ。何を普段たべて、何に興味があり、何をして暮らしているのか。そこに習慣などの違いなどから、その文化を感じ取ることができたからだ。生きた日本人の自分が案内するのだから、できたら日本の「今」の文化を紹介できたらと思っている。

じゃあ、今のカルチャーとはなんだろう?

アニメや漫画はすでに海外の人に知られているから新鮮味がない。
もっと、日本人の生活に即したものを紹介できたらと思う。

そこで思いついたのが日本語の「おしゃれ」というキーワードだ。

この言葉は、人を見るうえで現代の新しいファクターとなって現れている言葉だと思う。顔ではなく、性格でもなく、お金があるとはまた違う、センスを磨くことや感覚を大事にすることだ。海外にもSTYLISHとかFASHNABLEとかいう言葉はあるが、それとは一線画している部分がある。それは、「おしゃれ」という言葉がもつ、クリエイティビティーにあると思う。その人独自の感覚を使って価値観を生み出すエネルギーが含まれていると感じるのだ。しかもそれが一部の人ではなく、多くの人の共通意識としてあるのは日本人はとても特殊な人間だと、世界を見回してきて思ったことだった。その対象は、服とかアクセサリーという言葉を乗り越えていまやライフスタイル全体を指す言葉になっている。そのライフスタイルこそ文化とイコールで結びつくのかと思う。

□JAPANESEおしゃれな文化を味わえるところ

もちろんストリートファッションを見せるなら、原宿とか渋谷とかにつれていけばいいのだが、もう少しライフスタイルというところに着目していきたいと思う。旅行するとき、なかなか行きにくい場所というのがある。それは、見た目が高そうということと入り口がや狭い店だ。しかし、一度そこをくぐると、その国の人しか知らない文化に出会えることがある。

これらを統合し考えられるものして、日本の「隠れ家カフェ」がぴったりだと感じた。
日本のカフェはその筋の本がでるというくらい盛り上がっている。これらのカフェはおいしいコーヒーというよりも、より落ち着ける空間や店を切り盛りしている人の趣味の結晶だったりする。そして、そこに行く人も、コーヒーを飲みにいくのではなく、何かそこに刺激を有卦に入ったり、疲れた心を休めるためにカフェに通うのだと思う。

こういったものは自分が見てきた国ではなかった。日本のキーワード、隠れ屋とか、デザイナーズといったものがあまりカフェというものにあてはまらない。原宿や代官山で服を買い、自分の好きなカフェで一息つくというライフスタイルが、今の日本のおしゃれ文化の一角になっているとおもう。

メキシコ人もデザインの勉強をしたいと日本に来たいといっている。ぜひとも日本の新しい文化を味わって帰ってもらえたらと思う。

ベトナムの路上カフェ。こういうカフェが東京にもあっていいと思う。

最後まで読んでくれてありがとうございます。よければコメントお願いします。

2010/04/12

キューバ

その国の伝統文化を知りたいと思い、その国の地方都市を訪ねるとだいたい期待がはずれる。
少数民族の村でも、一人は携帯をもっているし、コカコーラがない村はあまり無い。民族衣装のおばちゃんがエプロンの下から、携帯電話を持ち出し、ランドクルーザーにのって去っていったというようなことも多々ある。そんなことでガイドブックに乗っているトラディショナルという言葉はあまり信じてはいけない。それは観光のためであって、元はあったものを作り直したものだ。伝統的で原始的な文化を継承している人々に出会うのは本当に難しい。

その点、キューバはどこもかしこも時が止まっているような国だった。
キューバと聞いて何を思え浮かべるだろうか?ハマキ、ラム、サルサ、ラテン系の陽気な人々などが連想される。多くの魅力的なものがある国だが、なんといっても現存する社会主義国家ということが一番の魅力だろう。国の根底が日本とは大きく違っている国だ。

自分が回った村々は、大正とか昭和初期の様な生活形式だった。
交通手段は、馬と徒歩が基本で、煮炊きも蒔を使うし、ほとんど電気も通ってない。もちろん携帯もない。しかし人々はそこでのんびりと暮らしている。そしてそこにはキューバをイメージさせるものがすべてあった。昼間は、くわえハマキでタバコをかり、夜はラムを飲みながらギターを使って生きることの喜びについて歌う。おそらく建国から50年ほど、こういう生活をずっと繰り返していたのだろう。

キューバはなぜ50年間変わらずにいられたのか?

経済的に豊かではないという理由もあると思うが、自分は情報が流動しない社会がひとつ理由であると思う。キューバでは住む場所が決められていて、旅行するにも許可がいる。地産地消の世界だから物資の移動もあまりない。インターネットは罪であり、テレビも新聞も国が管理している。
流通とともにある人伝えの情報や、メディアを介した情報がとにかく少ない国だと思う、もちろん外国の情報も入らない。知の科学反応がおこらない国なのだ。

人間の文化を形作っていくのは、多くの人の知のエネルギーのぶつかり合いだと思っている。

まったく逆で、日本はたった五十年というハイスピードで焼け野原から、景観、生活様式などをめまぐるしく変化きた世界唯一の国だと思う。それは経済的なものや、技術的なものもある。しかし、ものすごく小さな土地に沢山の人が住んでいるという特殊性が人から人への情報伝達のスピードを早くし、ぶつかり合わせたからこそできた変化だと思う。

まるでタイムスリップしたかのようなキューバにいたとき、日本人の自分は、世界の両極の真ん中にいる気がした。

インターネットと携帯電話が生まれてからのライフスタイルは、想像できないくらい変化した。さらにコンピューターがモバイルになったことで情報の流動性は高まるし、人と出会う機会もよりいっそう増えるだろう。それと相乗して、日本の文化はさらに変化をしていくと思う。

東京でのハイスピードで刺激的な変化を感じられる生活はとてもおもしろい。しかし、一度、キューバの人の笑顔に出会ってしまうと、このままでいいのかと、どうしても自問自答してしまうのだ。




最後まで読んでくれてありがとうございます。もしよければ、コメントよろしくお願いします

2010/04/10

色について


ボリビアのラパスから車で2時間くらいの所に、ワイナポトシという山がある。
この山の標高は6088メートル、富士山が3800だから、そこからさらに2000メートルほど上ることになる。この山の5000メートルからは世界が変わる。
見ている景色のすべてが氷河になるのだ。
ときどきみえる岩肌と、氷河の割れ目が唯一景色にアクセントを残している。

このとき自分の状態は最悪に近かった、ただでさえ標高が高く息がくるしいのに前日キャンプに移動するために、すべて装備をもって、(氷河を登るとき時にひつようなピッケルやスパイク、プラスチックブーツ、食料など)4000メートルから5000メートルに移動したり、出発が午前2時なのに、高地でなので眠りも浅く。さらに長旅の疲れからか、発熱していた。

一旅人が登れるくらいの山だから、決まったルートがあり大丈夫だと思っていたが、そんなことはない。ほぼ垂直の壁を3人ロープで体を結びつけて上り、氷河の割れ目をジャンプして乗り越えていくのだ。
約五時間歩き続けてやっとたどり着いた、6000M超という、極限状態。直径1mもない絶壁の頂上。360度自分より高いものはない。朦朧としていて、上に登ることだけを考えてた脳みそが、一気に開放される。
その突き抜けた感じとゆっっくりと上ってくる太陽がだんだん空をそめていく暖かさが、自分を最高に気持ちよくしてくれた。その時、自分は何をを感じたのだろうか?地球は丸い、人は小さい、自然の雄大さ、それらのことについても考えた。

しかし、一番感動したことは色についてだ。体がつかれきっている、脳みそも疲れきっている、意識することができない状態で、自然と目に入ってくる景色の色の豊かさに、ただただ感動した。


自分が旅をしてよかったと思うこと、それはおそろしく多くの色をみることができたからだと思う。自然の色、人の色、そして文化も色をもっている、そしてのそれぞれ特色をもっている。日本では出会うことの無い色たち。実際出会わないとわからない、素敵な色たちが世界には溢れている。