□ シェアハウス
今、とても面白い居住形態が東京にある。それはシェアハウスというものだ。
ここ数年で都内に増え続けている。それはひとつのビルのなかにトイレや、キチン、風呂といったものだけ共有し、部屋は個々にあるといったものだ。自分が決めたところは、デポジットとして2万円、手数料5000円、家賃(光熱費、インターネット代込)43000円という格安のもだ。
日本の家賃は本当に高い、そして狭い。都内で1Kバストイレ別で6畳といったら安くても6~7万円さらに敷金礼金をいれたら初期投資はかなり大変だ。さらに、毎月それだけのお金を払っても、働いていれば家に帰って寝るだけ、趣味のための荷物を置いたらぎゅうぎゅうになってしまうのが、一人暮らしの常だ。
ほかにもシェアハウスは一人暮らしでわずらわしいものをすべて払拭できる。ビルには管理人が着いており一人ぐらいでめんどくさい、掃除類、ゴミだし、備品の補充ははやってくれる。ビングルームは約20畳という広さだ。キッチンも広く冷蔵庫は個別に用意してある。
しかしシェアハウスにはいいところはたくさんあるが、住むところ=プライベートな空間と考えていたらすむことはできない。生活のほとんが、同居人と顔をあわせてすることになるからだ。その事を楽しいとさえ考えれば、とても魅力的な空間だと思う。
□ シェアハウスに決めたことについて、もうひとつ理由。
シェアハウスにすむことをすむことに対してもうひとつの考えがある。
世界を旅してきて、いろいろな都市を見てきた。そして日本の文化と様子が違うところに、居住区というものがある。自分が見てきた大都市にはかならず、なんらかの居住区があった。アメリカでは黒人居住区やアッパークラスの居住区、リオにはアラブ系から東邦系の居住区があったし
漢民族同士の中国上海にも、同じ地方出身に居住区があった。同じ人種同士が集団を作るのは、身を守るためでもあるし個々の弱い力を集団化して、大きな力や利便性を生み出すためだと思う。
しかし、世界を代表する大都市の東京にはそういったものは、まったくない。もともと統一民族国家ということもあるが、あまり他人にかかわろうとしない国民性もあると思う。さらに東京で働いてれば、たいていのことは不自由なく生活できるわけで、コミュニティーを形成す必要ようはないと感じる。
しかし、進んだ文化を持った、今の東京にも「コミュニティー」というものが生まれてもいいんじゃないだろうかと考えるようになった?
家を選ぶとき、家賃や間取りだけではなく
隣人を選べたらどんなに素敵だろうか。
それは民族とか人種の制約からではなくて、もっと進んだ文化である趣味や趣向と言ったものを共有する自由な共同体だ。インターネットで人気のSNSみたいなものが、現実に利益を共有ができたらそれはとても素敵なことだと思う。?たとえばバスケット好きの人がは、コート付の家があったらどうだろうか?しかもそのコミュニティーに同じ意思の人が集まりたくさんの集まるわけだから、いろいろな情報を共有できる。パソコン関係をしている人は、サーバがある物件を。料理好きにはハイテクなキッチンと、多数のシェア調味料など。服飾系の人には、リビングの代わりに裁縫室などを用意したらどうだろうか。しかもそういった自由な刺激は、お互いぶつかることでより大きなエネルギーを生み出すと思う。現に今、高級シェアハウスができているということだ、プライベートな部分を広く取り、共有スペースを広いスペースに高級家具を置き、落ち着ける空間を演出するといったものだ。物件の持つ価値の、割りと安くすめ、住んでいる人は会社のいい地位の人が住むため、住民同士の貴重な情報交換ができるというのが、その物件の売りだ。
シェアハウスは増え続けている。それは、おそらくそれを求めていた人が多くいたということで、さらにこれから増え続けていけば、それはブームメントになりよりひとつの文化になっていくと思う。そんな新しい文化の芽生えに付き添っていき、一緒に発展できていったらと思う。
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