2010/04/12

キューバ

その国の伝統文化を知りたいと思い、その国の地方都市を訪ねるとだいたい期待がはずれる。
少数民族の村でも、一人は携帯をもっているし、コカコーラがない村はあまり無い。民族衣装のおばちゃんがエプロンの下から、携帯電話を持ち出し、ランドクルーザーにのって去っていったというようなことも多々ある。そんなことでガイドブックに乗っているトラディショナルという言葉はあまり信じてはいけない。それは観光のためであって、元はあったものを作り直したものだ。伝統的で原始的な文化を継承している人々に出会うのは本当に難しい。

その点、キューバはどこもかしこも時が止まっているような国だった。
キューバと聞いて何を思え浮かべるだろうか?ハマキ、ラム、サルサ、ラテン系の陽気な人々などが連想される。多くの魅力的なものがある国だが、なんといっても現存する社会主義国家ということが一番の魅力だろう。国の根底が日本とは大きく違っている国だ。

自分が回った村々は、大正とか昭和初期の様な生活形式だった。
交通手段は、馬と徒歩が基本で、煮炊きも蒔を使うし、ほとんど電気も通ってない。もちろん携帯もない。しかし人々はそこでのんびりと暮らしている。そしてそこにはキューバをイメージさせるものがすべてあった。昼間は、くわえハマキでタバコをかり、夜はラムを飲みながらギターを使って生きることの喜びについて歌う。おそらく建国から50年ほど、こういう生活をずっと繰り返していたのだろう。

キューバはなぜ50年間変わらずにいられたのか?

経済的に豊かではないという理由もあると思うが、自分は情報が流動しない社会がひとつ理由であると思う。キューバでは住む場所が決められていて、旅行するにも許可がいる。地産地消の世界だから物資の移動もあまりない。インターネットは罪であり、テレビも新聞も国が管理している。
流通とともにある人伝えの情報や、メディアを介した情報がとにかく少ない国だと思う、もちろん外国の情報も入らない。知の科学反応がおこらない国なのだ。

人間の文化を形作っていくのは、多くの人の知のエネルギーのぶつかり合いだと思っている。

まったく逆で、日本はたった五十年というハイスピードで焼け野原から、景観、生活様式などをめまぐるしく変化きた世界唯一の国だと思う。それは経済的なものや、技術的なものもある。しかし、ものすごく小さな土地に沢山の人が住んでいるという特殊性が人から人への情報伝達のスピードを早くし、ぶつかり合わせたからこそできた変化だと思う。

まるでタイムスリップしたかのようなキューバにいたとき、日本人の自分は、世界の両極の真ん中にいる気がした。

インターネットと携帯電話が生まれてからのライフスタイルは、想像できないくらい変化した。さらにコンピューターがモバイルになったことで情報の流動性は高まるし、人と出会う機会もよりいっそう増えるだろう。それと相乗して、日本の文化はさらに変化をしていくと思う。

東京でのハイスピードで刺激的な変化を感じられる生活はとてもおもしろい。しかし、一度、キューバの人の笑顔に出会ってしまうと、このままでいいのかと、どうしても自問自答してしまうのだ。




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