2010/04/14

モバイル文化

メキシコ人の子が驚いていたことがある。それは東京にはこんなにたくさんの電車があるのに、なぜ混むのかということだ。

一応自分はこう答えた。

東京は世界最大の首都圏だということを
ひとつの都市としては、メキシコシティーが最高という。しかし埼玉千葉神奈川の人間が一度に東京に流れ込む人口は世界最大らしい。そしてその人口に流動性を持たせるのが電車であるわけで、朝の異常なラッシュは起こるわけだ確かに他の国ではラッシュというものをあまり見なかった。短距離のバスとかならあるが、長距離をまたぐ電車ではあまりおきない現象だ。

そこで考えたのが、おそらく世界で一番移動している人間は日本人じゃないかということだ。
経済が未発達な国では、自分の住んでいる生活圏からあまりはなれない。しかし日本人は毎日平均80~100分以上移動に費やす(世界2位は中国の80分)このことから日本人にとって移動は日常であり、移動することに慣れている民族だと思う。国土が狭いことが逆に人口の過密を呼び、世界最大の通勤時間をたたき出したのは不幸なことだ。

しかしそのことは、移動時間を有効に使おうとする日本の「モバイル文化」というものを作り出したと思っている。モバイルというと、高い技術力から生まれるゲームボーイや、ウォークマンなどを思い浮かべるが、もっと前から日本人はモバイルする文化をもっていうことがわかるものがある。

それは日本の文庫本だ。

世界の人々に日本の文庫本をみせると、たてに文字を書くことや、文字の種類が3種類あったりということなども驚かれるが、なんといっても手のひらにおまるサイズが驚かれる。いつでもどこでも読める小説というのは、移動時間には取って置きの娯楽だ。いろいろな国の人にであったが、これだけ小さなサイズの小説を持っている人間を見たことはない。これはモバイル=テクノロジーなのではなく、慣習の側面からモバイル文化がうまれたといってもいいと思う。

ここ数年で技術の進歩によってコンピューターが手のひらサイズになってきた。
それらを一番使いこなせるのは、モバイルを早い段階から受け入れてきた、日本人だとおもうのだ。

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