今度、メキシコの友達が東京に遊びに来ることになった。
それで、自分が東京を案内するのだが、どこを案内しようか迷ってしまった。日本の文化を案内しようと思うのだが、伝統文化を紹介するなら、ガイドブックの方がよっぽど勝っている。自分が旅に出ている時は、文化遺産や、アクティビティー、料理なども気になったが一番興味を抱いたのが、住んでいる人の普通の生活だ。何を普段たべて、何に興味があり、何をして暮らしているのか。そこに習慣などの違いなどから、その文化を感じ取ることができたからだ。生きた日本人の自分が案内するのだから、できたら日本の「今」の文化を紹介できたらと思っている。
じゃあ、今のカルチャーとはなんだろう?
アニメや漫画はすでに海外の人に知られているから新鮮味がない。
もっと、日本人の生活に即したものを紹介できたらと思う。
そこで思いついたのが日本語の「おしゃれ」というキーワードだ。
この言葉は、人を見るうえで現代の新しいファクターとなって現れている言葉だと思う。顔ではなく、性格でもなく、お金があるとはまた違う、センスを磨くことや感覚を大事にすることだ。海外にもSTYLISHとかFASHNABLEとかいう言葉はあるが、それとは一線画している部分がある。それは、「おしゃれ」という言葉がもつ、クリエイティビティーにあると思う。その人独自の感覚を使って価値観を生み出すエネルギーが含まれていると感じるのだ。しかもそれが一部の人ではなく、多くの人の共通意識としてあるのは日本人はとても特殊な人間だと、世界を見回してきて思ったことだった。その対象は、服とかアクセサリーという言葉を乗り越えていまやライフスタイル全体を指す言葉になっている。そのライフスタイルこそ文化とイコールで結びつくのかと思う。
□JAPANESEおしゃれな文化を味わえるところ
もちろんストリートファッションを見せるなら、原宿とか渋谷とかにつれていけばいいのだが、もう少しライフスタイルというところに着目していきたいと思う。旅行するとき、なかなか行きにくい場所というのがある。それは、見た目が高そうということと入り口がや狭い店だ。しかし、一度そこをくぐると、その国の人しか知らない文化に出会えることがある。
これらを統合し考えられるものして、日本の「隠れ家カフェ」がぴったりだと感じた。
日本のカフェはその筋の本がでるというくらい盛り上がっている。これらのカフェはおいしいコーヒーというよりも、より落ち着ける空間や店を切り盛りしている人の趣味の結晶だったりする。そして、そこに行く人も、コーヒーを飲みにいくのではなく、何かそこに刺激を有卦に入ったり、疲れた心を休めるためにカフェに通うのだと思う。
こういったものは自分が見てきた国ではなかった。日本のキーワード、隠れ屋とか、デザイナーズといったものがあまりカフェというものにあてはまらない。原宿や代官山で服を買い、自分の好きなカフェで一息つくというライフスタイルが、今の日本のおしゃれ文化の一角になっているとおもう。
メキシコ人もデザインの勉強をしたいと日本に来たいといっている。ぜひとも日本の新しい文化を味わって帰ってもらえたらと思う。
ベトナムの路上カフェ。こういうカフェが東京にもあっていいと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございます。よければコメントお願いします。
2010/04/12
キューバ
その国の伝統文化を知りたいと思い、その国の地方都市を訪ねるとだいたい期待がはずれる。
少数民族の村でも、一人は携帯をもっているし、コカコーラがない村はあまり無い。民族衣装のおばちゃんがエプロンの下から、携帯電話を持ち出し、ランドクルーザーにのって去っていったというようなことも多々ある。そんなことでガイドブックに乗っているトラディショナルという言葉はあまり信じてはいけない。それは観光のためであって、元はあったものを作り直したものだ。伝統的で原始的な文化を継承している人々に出会うのは本当に難しい。
その点、キューバはどこもかしこも時が止まっているような国だった。
キューバと聞いて何を思え浮かべるだろうか?ハマキ、ラム、サルサ、ラテン系の陽気な人々などが連想される。多くの魅力的なものがある国だが、なんといっても現存する社会主義国家ということが一番の魅力だろう。国の根底が日本とは大きく違っている国だ。
自分が回った村々は、大正とか昭和初期の様な生活形式だった。
交通手段は、馬と徒歩が基本で、煮炊きも蒔を使うし、ほとんど電気も通ってない。もちろん携帯もない。しかし人々はそこでのんびりと暮らしている。そしてそこにはキューバをイメージさせるものがすべてあった。昼間は、くわえハマキでタバコをかり、夜はラムを飲みながらギターを使って生きることの喜びについて歌う。おそらく建国から50年ほど、こういう生活をずっと繰り返していたのだろう。
キューバはなぜ50年間変わらずにいられたのか?
経済的に豊かではないという理由もあると思うが、自分は情報が流動しない社会がひとつ理由であると思う。キューバでは住む場所が決められていて、旅行するにも許可がいる。地産地消の世界だから物資の移動もあまりない。インターネットは罪であり、テレビも新聞も国が管理している。
流通とともにある人伝えの情報や、メディアを介した情報がとにかく少ない国だと思う、もちろん外国の情報も入らない。知の科学反応がおこらない国なのだ。
人間の文化を形作っていくのは、多くの人の知のエネルギーのぶつかり合いだと思っている。
まったく逆で、日本はたった五十年というハイスピードで焼け野原から、景観、生活様式などをめまぐるしく変化きた世界唯一の国だと思う。それは経済的なものや、技術的なものもある。しかし、ものすごく小さな土地に沢山の人が住んでいるという特殊性が人から人への情報伝達のスピードを早くし、ぶつかり合わせたからこそできた変化だと思う。
まるでタイムスリップしたかのようなキューバにいたとき、日本人の自分は、世界の両極の真ん中にいる気がした。
インターネットと携帯電話が生まれてからのライフスタイルは、想像できないくらい変化した。さらにコンピューターがモバイルになったことで情報の流動性は高まるし、人と出会う機会もよりいっそう増えるだろう。それと相乗して、日本の文化はさらに変化をしていくと思う。
東京でのハイスピードで刺激的な変化を感じられる生活はとてもおもしろい。しかし、一度、キューバの人の笑顔に出会ってしまうと、このままでいいのかと、どうしても自問自答してしまうのだ。
少数民族の村でも、一人は携帯をもっているし、コカコーラがない村はあまり無い。民族衣装のおばちゃんがエプロンの下から、携帯電話を持ち出し、ランドクルーザーにのって去っていったというようなことも多々ある。そんなことでガイドブックに乗っているトラディショナルという言葉はあまり信じてはいけない。それは観光のためであって、元はあったものを作り直したものだ。伝統的で原始的な文化を継承している人々に出会うのは本当に難しい。
その点、キューバはどこもかしこも時が止まっているような国だった。
キューバと聞いて何を思え浮かべるだろうか?ハマキ、ラム、サルサ、ラテン系の陽気な人々などが連想される。多くの魅力的なものがある国だが、なんといっても現存する社会主義国家ということが一番の魅力だろう。国の根底が日本とは大きく違っている国だ。
自分が回った村々は、大正とか昭和初期の様な生活形式だった。
交通手段は、馬と徒歩が基本で、煮炊きも蒔を使うし、ほとんど電気も通ってない。もちろん携帯もない。しかし人々はそこでのんびりと暮らしている。そしてそこにはキューバをイメージさせるものがすべてあった。昼間は、くわえハマキでタバコをかり、夜はラムを飲みながらギターを使って生きることの喜びについて歌う。おそらく建国から50年ほど、こういう生活をずっと繰り返していたのだろう。
キューバはなぜ50年間変わらずにいられたのか?
経済的に豊かではないという理由もあると思うが、自分は情報が流動しない社会がひとつ理由であると思う。キューバでは住む場所が決められていて、旅行するにも許可がいる。地産地消の世界だから物資の移動もあまりない。インターネットは罪であり、テレビも新聞も国が管理している。
流通とともにある人伝えの情報や、メディアを介した情報がとにかく少ない国だと思う、もちろん外国の情報も入らない。知の科学反応がおこらない国なのだ。
人間の文化を形作っていくのは、多くの人の知のエネルギーのぶつかり合いだと思っている。
まったく逆で、日本はたった五十年というハイスピードで焼け野原から、景観、生活様式などをめまぐるしく変化きた世界唯一の国だと思う。それは経済的なものや、技術的なものもある。しかし、ものすごく小さな土地に沢山の人が住んでいるという特殊性が人から人への情報伝達のスピードを早くし、ぶつかり合わせたからこそできた変化だと思う。
まるでタイムスリップしたかのようなキューバにいたとき、日本人の自分は、世界の両極の真ん中にいる気がした。
インターネットと携帯電話が生まれてからのライフスタイルは、想像できないくらい変化した。さらにコンピューターがモバイルになったことで情報の流動性は高まるし、人と出会う機会もよりいっそう増えるだろう。それと相乗して、日本の文化はさらに変化をしていくと思う。
東京でのハイスピードで刺激的な変化を感じられる生活はとてもおもしろい。しかし、一度、キューバの人の笑顔に出会ってしまうと、このままでいいのかと、どうしても自問自答してしまうのだ。
最後まで読んでくれてありがとうございます。もしよければ、コメントよろしくお願いします
2010/04/10
色について
ボリビアのラパスから車で2時間くらいの所に、ワイナポトシという山がある。
この山の標高は6088メートル、富士山が3800だから、そこからさらに2000メートルほど上ることになる。この山の5000メートルからは世界が変わる。
見ている景色のすべてが氷河になるのだ。
ときどきみえる岩肌と、氷河の割れ目が唯一景色にアクセントを残している。
このとき自分の状態は最悪に近かった、ただでさえ標高が高く息がくるしいのに前日キャンプに移動するために、すべて装備をもって、(氷河を登るとき時にひつようなピッケルやスパイク、プラスチックブーツ、食料など)4000メートルから5000メートルに移動したり、出発が午前2時なのに、高地でなので眠りも浅く。さらに長旅の疲れからか、発熱していた。
一旅人が登れるくらいの山だから、決まったルートがあり大丈夫だと思っていたが、そんなことはない。ほぼ垂直の壁を3人ロープで体を結びつけて上り、氷河の割れ目をジャンプして乗り越えていくのだ。
約五時間歩き続けてやっとたどり着いた、6000M超という、極限状態。直径1mもない絶壁の頂上。360度自分より高いものはない。朦朧としていて、上に登ることだけを考えてた脳みそが、一気に開放される。
その突き抜けた感じとゆっっくりと上ってくる太陽がだんだん空をそめていく暖かさが、自分を最高に気持ちよくしてくれた。その時、自分は何をを感じたのだろうか?地球は丸い、人は小さい、自然の雄大さ、それらのことについても考えた。
しかし、一番感動したことは色についてだ。体がつかれきっている、脳みそも疲れきっている、意識することができない状態で、自然と目に入ってくる景色の色の豊かさに、ただただ感動した。
自分が旅をしてよかったと思うこと、それはおそろしく多くの色をみることができたからだと思う。自然の色、人の色、そして文化も色をもっている、そしてのそれぞれ特色をもっている。日本では出会うことの無い色たち。実際出会わないとわからない、素敵な色たちが世界には溢れている。
家探し
東京に舞い戻ってきて、まず考えたこと、それは自分が当然と思えるようなことを一度考え直そうと思った。新しい住居を決めということは、自分のライフスタイルを考え直すことと、イコールだと思う。自分はなるべく今の日本の新しい文化を感じられるような家に住みたいと思い家探しをし始めた。
□ シェアハウス
今、とても面白い居住形態が東京にある。それはシェアハウスというものだ。
ここ数年で都内に増え続けている。それはひとつのビルのなかにトイレや、キチン、風呂といったものだけ共有し、部屋は個々にあるといったものだ。自分が決めたところは、デポジットとして2万円、手数料5000円、家賃(光熱費、インターネット代込)43000円という格安のもだ。
日本の家賃は本当に高い、そして狭い。都内で1Kバストイレ別で6畳といったら安くても6~7万円さらに敷金礼金をいれたら初期投資はかなり大変だ。さらに、毎月それだけのお金を払っても、働いていれば家に帰って寝るだけ、趣味のための荷物を置いたらぎゅうぎゅうになってしまうのが、一人暮らしの常だ。
ほかにもシェアハウスは一人暮らしでわずらわしいものをすべて払拭できる。ビルには管理人が着いており一人ぐらいでめんどくさい、掃除類、ゴミだし、備品の補充ははやってくれる。ビングルームは約20畳という広さだ。キッチンも広く冷蔵庫は個別に用意してある。
しかしシェアハウスにはいいところはたくさんあるが、住むところ=プライベートな空間と考えていたらすむことはできない。生活のほとんが、同居人と顔をあわせてすることになるからだ。その事を楽しいとさえ考えれば、とても魅力的な空間だと思う。
□ シェアハウスに決めたことについて、もうひとつ理由。
シェアハウスにすむことをすむことに対してもうひとつの考えがある。
世界を旅してきて、いろいろな都市を見てきた。そして日本の文化と様子が違うところに、居住区というものがある。自分が見てきた大都市にはかならず、なんらかの居住区があった。アメリカでは黒人居住区やアッパークラスの居住区、リオにはアラブ系から東邦系の居住区があったし
漢民族同士の中国上海にも、同じ地方出身に居住区があった。同じ人種同士が集団を作るのは、身を守るためでもあるし個々の弱い力を集団化して、大きな力や利便性を生み出すためだと思う。
しかし、世界を代表する大都市の東京にはそういったものは、まったくない。もともと統一民族国家ということもあるが、あまり他人にかかわろうとしない国民性もあると思う。さらに東京で働いてれば、たいていのことは不自由なく生活できるわけで、コミュニティーを形成す必要ようはないと感じる。
しかし、進んだ文化を持った、今の東京にも「コミュニティー」というものが生まれてもいいんじゃないだろうかと考えるようになった?
家を選ぶとき、家賃や間取りだけではなく
隣人を選べたらどんなに素敵だろうか。
それは民族とか人種の制約からではなくて、もっと進んだ文化である趣味や趣向と言ったものを共有する自由な共同体だ。インターネットで人気のSNSみたいなものが、現実に利益を共有ができたらそれはとても素敵なことだと思う。?たとえばバスケット好きの人がは、コート付の家があったらどうだろうか?しかもそのコミュニティーに同じ意思の人が集まりたくさんの集まるわけだから、いろいろな情報を共有できる。パソコン関係をしている人は、サーバがある物件を。料理好きにはハイテクなキッチンと、多数のシェア調味料など。服飾系の人には、リビングの代わりに裁縫室などを用意したらどうだろうか。しかもそういった自由な刺激は、お互いぶつかることでより大きなエネルギーを生み出すと思う。現に今、高級シェアハウスができているということだ、プライベートな部分を広く取り、共有スペースを広いスペースに高級家具を置き、落ち着ける空間を演出するといったものだ。物件の持つ価値の、割りと安くすめ、住んでいる人は会社のいい地位の人が住むため、住民同士の貴重な情報交換ができるというのが、その物件の売りだ。
シェアハウスは増え続けている。それは、おそらくそれを求めていた人が多くいたということで、さらにこれから増え続けていけば、それはブームメントになりよりひとつの文化になっていくと思う。そんな新しい文化の芽生えに付き添っていき、一緒に発展できていったらと思う。
□ シェアハウス
今、とても面白い居住形態が東京にある。それはシェアハウスというものだ。
ここ数年で都内に増え続けている。それはひとつのビルのなかにトイレや、キチン、風呂といったものだけ共有し、部屋は個々にあるといったものだ。自分が決めたところは、デポジットとして2万円、手数料5000円、家賃(光熱費、インターネット代込)43000円という格安のもだ。
日本の家賃は本当に高い、そして狭い。都内で1Kバストイレ別で6畳といったら安くても6~7万円さらに敷金礼金をいれたら初期投資はかなり大変だ。さらに、毎月それだけのお金を払っても、働いていれば家に帰って寝るだけ、趣味のための荷物を置いたらぎゅうぎゅうになってしまうのが、一人暮らしの常だ。
ほかにもシェアハウスは一人暮らしでわずらわしいものをすべて払拭できる。ビルには管理人が着いており一人ぐらいでめんどくさい、掃除類、ゴミだし、備品の補充ははやってくれる。ビングルームは約20畳という広さだ。キッチンも広く冷蔵庫は個別に用意してある。
しかしシェアハウスにはいいところはたくさんあるが、住むところ=プライベートな空間と考えていたらすむことはできない。生活のほとんが、同居人と顔をあわせてすることになるからだ。その事を楽しいとさえ考えれば、とても魅力的な空間だと思う。
□ シェアハウスに決めたことについて、もうひとつ理由。
シェアハウスにすむことをすむことに対してもうひとつの考えがある。
世界を旅してきて、いろいろな都市を見てきた。そして日本の文化と様子が違うところに、居住区というものがある。自分が見てきた大都市にはかならず、なんらかの居住区があった。アメリカでは黒人居住区やアッパークラスの居住区、リオにはアラブ系から東邦系の居住区があったし
漢民族同士の中国上海にも、同じ地方出身に居住区があった。同じ人種同士が集団を作るのは、身を守るためでもあるし個々の弱い力を集団化して、大きな力や利便性を生み出すためだと思う。
しかし、世界を代表する大都市の東京にはそういったものは、まったくない。もともと統一民族国家ということもあるが、あまり他人にかかわろうとしない国民性もあると思う。さらに東京で働いてれば、たいていのことは不自由なく生活できるわけで、コミュニティーを形成す必要ようはないと感じる。
しかし、進んだ文化を持った、今の東京にも「コミュニティー」というものが生まれてもいいんじゃないだろうかと考えるようになった?
家を選ぶとき、家賃や間取りだけではなく
隣人を選べたらどんなに素敵だろうか。
それは民族とか人種の制約からではなくて、もっと進んだ文化である趣味や趣向と言ったものを共有する自由な共同体だ。インターネットで人気のSNSみたいなものが、現実に利益を共有ができたらそれはとても素敵なことだと思う。?たとえばバスケット好きの人がは、コート付の家があったらどうだろうか?しかもそのコミュニティーに同じ意思の人が集まりたくさんの集まるわけだから、いろいろな情報を共有できる。パソコン関係をしている人は、サーバがある物件を。料理好きにはハイテクなキッチンと、多数のシェア調味料など。服飾系の人には、リビングの代わりに裁縫室などを用意したらどうだろうか。しかもそういった自由な刺激は、お互いぶつかることでより大きなエネルギーを生み出すと思う。現に今、高級シェアハウスができているということだ、プライベートな部分を広く取り、共有スペースを広いスペースに高級家具を置き、落ち着ける空間を演出するといったものだ。物件の持つ価値の、割りと安くすめ、住んでいる人は会社のいい地位の人が住むため、住民同士の貴重な情報交換ができるというのが、その物件の売りだ。
シェアハウスは増え続けている。それは、おそらくそれを求めていた人が多くいたということで、さらにこれから増え続けていけば、それはブームメントになりよりひとつの文化になっていくと思う。そんな新しい文化の芽生えに付き添っていき、一緒に発展できていったらと思う。
2010/04/09
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